パターンを崩すのがヨガ!?
本質的な健康、癒しを追求する
『WHOLLYマガジン』は、
身体や運動のことも調査したい。
ヨガについては前々から興味はあるが
実は何も知らない未知の存在。
そこで、代々木上原でヨガスタジオを
運営されているYUKA SHINOHARAさんに
お話を聞いてきました。
YUKAさんは日本ではめずらしい
ヴィンヤサヨガを実践されている
NY帰りのヨギです。
記事の目次を見る
| 第1回 |
パターンを崩すのがヨガ!?
セタ
今回はヨガ編です。ゲストはYUKAさんです。自己紹介をお願いします。
YUKA
シノハラユカです。10年ほど前にニューヨークから帰国してヨガを教えています。ニューヨークではダンサーだったんですが、NYのダンサーは、3人に2人ぐらいの人がヨガ講師の資格を持っていたんですね、びっくりしました。そんな環境で私もヨガに出会うわけですが、ヨガをやると心が晴れて、これは楽しい!と没頭したのです。私が習っていたヨガは当時、日本にはまだありませんでしたから、自分のプラクティスのためにもヨガ講師の資格を取っちゃおうと決意したはいいが、1年ぐらい地獄のような日々(笑)ものすごく大変でした。
セタ
ヨガの資格をとって、いまがある。
YUKA
実は帰国後は日本でダンサーをやるつもりだったんですが、帰ってきたら日本の先輩や友だち、その知り合いなど、精神疾患の方がなんだか多くて。それで、何か私にできないだろうかと感じまして、この代々木上原で、帰国後8ヶ月目にはスタジオをオープンさせました!
セタ
YUKAさんはプロのダンサーだったんですね! ダンスとヨガって、共通することがあるんですか?
YUKA
肉体を動かすこと以外は、反比例してるのかな。ダンスは勝ち取っていくような精神的強さが必要ですが、ヨガは違いますね。
セタ
ダンスの方がアップする感じですか? 気持ちを高揚させるみたいな。
YUKA
気持ちを高揚…そうですね。それとヨガが似ていると?
セタ
いえ、ヨガとダンスは反比例とおっしゃったので、ヨガは落ち着くイメージなのかな、と。
YUKA
そうですね。というよりは、上も下もなくてバランスを取るということがヨガなんですね。自分自身のパターンを崩すのがヨガ、パターンを作るのがダンスなので、まったく違うことなんです。
林 おお!
セタ
パターンを崩すっていうの、面白い表現ですね。初めて聞きました。どういうことか教えてください。
YUKA
人間はパターンでしかできていないと言っても過言ではないと思うんですが、例えばえ朝起きてからの行動に、何かしらルーティンがありますよね。その時点で個性は大体決まっています。それを繰り返すことによって、時には体調を崩しかねない。病気はなんとなく見えますが、同じパターンを繰り返していると、思考も固定化します。そうすると、同じパターンの人たちと出会って、同じ人生のパターンで終わる、そういう結果になっていく。だけどヨガでは、自分への試練という風に考えるんですね。今世に持って生まれてた魂のパターンを剥がしていくことをどんどんやっていくのです。生活の習慣、物の考え方や思考、行動パターンを崩していく。
セタ
どうやって崩すんですか?
YUKA
たとえば、ヨガのマットのなかで、右手を上げる時、普段の自分の好きな右手の上げ方をすると思うんです。それを、背中の中心を意識しながら、胸を張って、鎖骨は平に均等に右と左を引き合いながら、と背中のいろんなところに意識を巡らせていくんですね。そうすると自分自身が使ったことのない筋肉や皮膚が、使えるようになるのです。それを繰り返していくと、心地が悪いところが出てくるようになり、「このポーズ嫌いだな」と感じる。その時になぜ嫌いなのか、というものに対して、ただただ見ていく。肉体から心のパターンを取り除いていくという意味があります。
ーー(一同)へえーー!
YUKA
つまり、ヨガのマットのなかで、何日も何年もやり続け、マットから出た時にそのパターンが崩れた人生を送ることができる。それをずっと、一生続けていくことが、まあ鍛錬<タパス>といいます。達成したいものに対して、自分自身の中に向かっていきながらも自分のパターンをどんどん壊していく、という感じです。
パターンにとどまるのは「怠惰」!?
セタ
深い!!! 林先生、分かりました?
林
初めて聞いたというか、ヨガという言葉から、ちょっと思いつかなかったですけど。一般的にはパターンを作っていくとは、いいパターンを作っていくという認識でしたが、そうじゃなくて、壊していく、というの、面白いですね。ほっとくとどんどんパターンにはまって良くない方に行っちゃうってことなんですかね?
YUKA
そうですね、例えば、落ち込みやすい人っていうのは、なんでこうなっちゃうんだろう、私はなんでできなかったんだろう、って落ち込みますよね。でも落ち込んでる感情はもう何千回もやっているので知っている感情。だから、心地いいんですよ、彼らにとっては。
林
あぁ、なるほど。
YUKA
そのこと(パターンにとどまること)をヨガでは<怠惰>って言うんですね。その場面に直面した時に、自分自身の心をそこに連れて行かないように、常に厳しく見張っていなさいと。私の先生の一人、リチャードには「Witness,witness(自分を見張ってろ)」と言われていました。
林
あの、なんか話が飛びすぎかもしれませんが、人間とは、放っておくとあまり良くない方向に流れちゃうから、ヨガでは<鍛錬>というか、人生に対して求道的であれ、という感じなの? そのまでいい、というより、意識的にパターンを壊していく、鍛錬・鍛錬・鍛錬、の連続というか。セタさん、そう思ってた?
セタ
いや、思ってなかったです。全然思ってなかったけれど、でも僕の理解は、放っておくと悪いことになるというより、本当はバランスよくあるべきなのに、自分の居心地のいいところにだけに留まりがちだ、ということですかね。例えば姿勢でいえば、自分の楽な姿勢ばかりとっていると歪みが生じるから、筋肉だと使ってない部分が退化するから、自分のパターンを崩していこう、と。
YUKA
そうですね。心と体っていうのは比例しているので、まあ「にわとりが先か卵が先か」じゃないですけど、どっちがどっちかなんてわからないので、心が先に壊れて体が壊れるのか、その逆もしかり。心を整えたいんだけど、心の整え方がわからないから、まず肉体から取りかかる、ということも、もちろんありなんですね。良くすることに対しても悪くすることに対しても、連鎖反応が起こりますから。
セタ
うんうん。
林
勉強になったね。
セタ
なりましたね。
林
ヨガって、ガリガリになって岩の上とかでポーズを取ってる、みたいな偏見があったけどぜんぜん違うのね(笑)
ーー(森野狐)ヨガ=おしゃれみたいなイメージめちゃありました!
YUKA
最終的に言うと、我はなくなります!
( 次の記事に続く )
パターンを
崩すのがヨガ!?
本質的な健康や癒しを追求する『WHOLLYマガジン』は、身体や運動のことも調査したい。ヨガについては前々から興味はあるが実は何も知らない未知の存在。そこで、代々木上原でヨガスタジオを運営されているYUKA SHINOHARAさんにお話を聞いてきました。YUKAさんは日本ではめずらしい
ヴィンヤサヨガを実践されているNY帰りのヨギです。
記事の目次を見る
| 第1回 |
パターンを崩すのがヨガ!?
セタ
今回はヨガ編です。ゲストはYUKAさんです。自己紹介をお願いします。
YUKA
シノハラユカです。10年ほど前にニューヨークから帰国してヨガを教えています。ニューヨークではダンサーだったんですが、NYのダンサーは、3人に2人ぐらいの人がヨガ講師の資格を持っていたんですね、びっくりしました。そんな環境で私もヨガに出会うわけですが、ヨガをやると心が晴れて、これは楽しい!と没頭したのです。私が習っていたヨガは当時、日本にはまだありませんでしたから、自分のプラクティスのためにもヨガ講師の資格を取っちゃおうと決意したはいいが、1年ぐらい地獄のような日々(笑)ものすごく大変でした。
セタ
ヨガの資格をとって、いまがある。
YUKA
実は帰国後は日本でダンサーをやるつもりだったんですが、帰ってきたら日本の先輩や友だち、その知り合いなど、精神疾患の方がなんだか多くて。それで、何か私にできないだろうかと感じまして、この代々木上原で、帰国後8ヶ月目にはスタジオをオープンさせました!
セタ
YUKAさんはプロのダンサーだったんですね! ダンスとヨガって、共通することがあるんですか?
YUKA
肉体を動かすこと以外は、反比例してるのかな。ダンスは勝ち取っていくような精神的強さが必要ですが、ヨガは違いますね。
セタ
ダンスの方がアップする感じですか? 気持ちを高揚させるみたいな。
YUKA
気持ちを高揚…そうですね。それとヨガが似ていると?
セタ
いえ、ヨガとダンスは反比例とおっしゃったので、ヨガは落ち着くイメージなのかな、と。
YUKA
そうですね。というよりは、上も下もなくてバランスを取るということがヨガなんですね。自分自身のパターンを崩すのがヨガ、パターンを作るのがダンスなので、まったく違うことなんです。
林 おお!
セタ
パターンを崩すっていうの、面白い表現ですね。初めて聞きました。どういうことか教えてください。
YUKA
人間はパターンでしかできていないと言っても過言ではないと思うんですが、例えばえ朝起きてからの行動に、何かしらルーティンがありますよね。その時点で個性は大体決まっています。それを繰り返すことによって、時には体調を崩しかねない。病気はなんとなく見えますが、同じパターンを繰り返していると、思考も固定化します。そうすると、同じパターンの人たちと出会って、同じ人生のパターンで終わる、そういう結果になっていく。だけどヨガでは、自分への試練という風に考えるんですね。今世に持って生まれてた魂のパターンを剥がしていくことをどんどんやっていくのです。生活の習慣、物の考え方や思考、行動パターンを崩していく。
セタ
どうやって崩すんですか?
YUKA
たとえば、ヨガのマットのなかで、右手を上げる時、普段の自分の好きな右手の上げ方をすると思うんです。それを、背中の中心を意識しながら、胸を張って、鎖骨は平に均等に右と左を引き合いながら、と背中のいろんなところに意識を巡らせていくんですね。そうすると自分自身が使ったことのない筋肉や皮膚が、使えるようになるのです。それを繰り返していくと、心地が悪いところが出てくるようになり、「このポーズ嫌いだな」と感じる。その時になぜ嫌いなのか、というものに対して、ただただ見ていく。肉体から心のパターンを取り除いていくという意味があります。
ーー(一同)へえーー!
YUKA
つまり、ヨガのマットのなかで、何日も何年もやり続け、マットから出た時にそのパターンが崩れた人生を送ることができる。それをずっと、一生続けていくことが、まあ鍛錬<タパス>といいます。達成したいものに対して、自分自身の中に向かっていきながらも自分のパターンをどんどん壊していく、という感じです。
パターンにとどまるのは「怠惰」!?
セタ
深い!!! 林先生、分かりました?
林
初めて聞いたというか、ヨガという言葉から、ちょっと思いつかなかったですけど。一般的にはパターンを作っていくとは、いいパターンを作っていくという認識でしたが、そうじゃなくて、壊していく、というの、面白いですね。ほっとくとどんどんパターンにはまって良くない方に行っちゃうってことなんですかね?
YUKA
そうですね、例えば、落ち込みやすい人っていうのは、なんでこうなっちゃうんだろう、私はなんでできなかったんだろう、って落ち込みますよね。でも落ち込んでる感情はもう何千回もやっているので知っている感情。だから、心地いいんですよ、彼らにとっては。
林
あぁ、なるほど。
YUKA
そのこと(パターンにとどまること)をヨガでは<怠惰>って言うんですね。その場面に直面した時に、自分自身の心をそこに連れて行かないように、常に厳しく見張っていなさいと。私の先生の一人、リチャードには「Witness,witness(自分を見張ってろ)」と言われていました。
林
あの、なんか話が飛びすぎかもしれませんが、人間とは、放っておくとあまり良くない方向に流れちゃうから、ヨガでは<鍛錬>というか、人生に対して求道的であれ、という感じなの? そのまでいい、というより、意識的にパターンを壊していく、鍛錬・鍛錬・鍛錬、の連続というか。セタさん、そう思ってた?
セタ
いや、思ってなかったです。全然思ってなかったけれど、でも僕の理解は、放っておくと悪いことになるというより、本当はバランスよくあるべきなのに、自分の居心地のいいところにだけに留まりがちだ、ということですかね。例えば姿勢でいえば、自分の楽な姿勢ばかりとっていると歪みが生じるから、筋肉だと使ってない部分が退化するから、自分のパターンを崩していこう、と。
YUKA
そうですね。心と体っていうのは比例しているので、まあ「にわとりが先か卵が先か」じゃないですけど、どっちがどっちかなんてわからないので、心が先に壊れて体が壊れるのか、その逆もしかり。心を整えたいんだけど、心の整え方がわからないから、まず肉体から取りかかる、ということも、もちろんありなんですね。良くすることに対しても悪くすることに対しても、連鎖反応が起こりますから。
セタ
うんうん。
林
勉強になったね。
セタ
なりましたね。
林
ヨガって、ガリガリになって岩の上とかでポーズを取ってる、みたいな偏見があったけどぜんぜん違うのね(笑)
ーー(森野狐)ヨガ=おしゃれみたいなイメージめちゃありました!
YUKA
最終的に言うと、我はなくなります!
( 次の記事に続く )