心地いいが
わからない?
ハーブを通して、今を生きる人たちに
本質的な癒しを得るための
ヒントを提供していこうとする『WHOLLYマガジン』は、
人が健康で心も身体も健全でいる上で、
絶対外せないメンタルの問題を深ぼるべく、
日本のホリスティック医学を牽引されている、
降矢英成先生を尋ねお話を伺いました。
| 第2回 |
「心地いい」がわからない?
降矢
多くの人は、本当に自分が、どれが心地良いかっていうのも分かんなくなってるとこあるんです。
セタ
あ!分かんなくなってるんですか。
降矢
意外に多いんですよ。
セタ
それは驚きです。
ーー(森野狐)なぜ快・不快がわからなくなるんですか?
降矢
現代の社会では、心地よいことだけ優先しては絶対生きていけないじゃないですか。心地よさを抑えてると、だんだん麻痺するんです。で、最終的に、自分が何が好きで心地よいかも、分かんなくなってくる、ということが、結構起こっているんですよね。
セタ
それ、分かる気がします。僕も、もっと自分が心地よい状態に対して積極的になっていいと思っていて、うまく自分を意識的に甘やかすべきと頭では分かっていても、一方で快適なことばかり求めちゃいけないと、ブレーキかけるんですよね。植物療法を勉強していると、結局体を直すのは自分の免疫力なんだけど、それをうまく働かせるトリガーになるのが薬だったり、ハーブじゃないかと思いますね。だから心の問題は、いわゆるメンタルの病気の話だけでなく、健康すべてに関わっているのかな、って。
降矢
とくに今の普通の東京や都会、まあ、日本の社会や会社では、なかなかこの「快」っていうの出せないというか、貫けないことが多いでしょうね。そのことを分かってどうするかを考えないと、後で思わぬことになりますので。
ーー(森野狐)あのー、快・不快は心もしくは感情が判別することなんですか?
降矢
いや体もありますけども、心ももちろん入ってきます。
ーー(森野狐)自分の居心地がいい状態が、快なんですか?
降矢
居心地と言ってもいいかもしれませんけどね。
セタ
(森野Dに)快が分からない、って前にも質問してたよね?
ーー(森野狐)快、わかんないです。自分がどういう時に心地いいのか、自分のストレスもわかんないです。
降矢
わかんないですか?
ーー(森野狐)ストレスがあるのかないのかもわかんなくて、そのストレスが溜まってバンと弾けた瞬間、もう誰も会いたくないみたいな…。ストレスがわからない自分って、不快に気がつかない状態なんでしょうか?
降矢
ある意味そうですかね。不快に気づかないのか、気づいてもそれに蓋をしてるのか、どっちもありますよね。
ーー(森野狐)それって私は、脳みその方を重点的に動かしているのか? 心と感情に蓋をしている状態なのか? どういう状態なんですか?
降矢
もし、快・不快を本当に分かりたかったら、頭では無理です。やっぱりハートとか、感情の方にちゃんとフォーカスしないとわからないと思いますね。
セタ
なんか僕、「本能」って結構好きなんですよ。自分も動物だって、感じることがあります。あの、「闘争」か「逃走」って、よく診療内科の話で出てくる…
林
ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)ね。
セタ
はい!それ! 降矢先生、説明してください。
降矢
闘う「闘争」か、逃げる「逃走」か。そうしないとストレスにやられちゃうっていうそういう場面の時の、交感神経が働く時の状態ですね。
セタ
なんか、自分が動物だったらですよ、自分より強そうなやつが相手だったら逃げるし、勝てそうだったらやっつけちゃう!みたいな。弱肉強食の感情って本来人間は持ってるんだけど、日進月歩で進化する現代社会に、本能がついていけないんじゃないかな。人間の体はOS1.0からほぼバージョンアップしてないのに、生活自体がすごく変わることで、ギャップや不具合が起きていませんか?
降矢
まあ、そうですよね。社会が変わっちゃいましたからね。だからある意味、昔はスポーツで普通に戦えていたけども、あんまり今はね、表から戦っちゃいけないという。
林
ハハハ(笑)
降矢
スポーツをちゃんとやらないと、そこ(本能)がまあ、なんていうか、処理できないというかね。スポーツの意味って、またそこにも、現代ではさらにあるんだと思うんですよね。ルールの中で戦えるのがスポーツなので。
「快」にブレーキをかけてしまう現代の日本人
セタ
なんか僕、「本能」って結構好きなんですよ。自分も動物だって、感じることがあります。あの、「闘争」か「逃走」って、よく診療内科の話で出てくる…
林
ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)ね。
セタ
はい!それです! 降矢先生、説明してください。
降矢
闘う「闘争」か、逃げる「逃走」か。そうしないとストレスにやられちゃうっていうそういう場面の時の、交感神経が働く時の状態ですね。
セタ
なんか、自分が動物だったらですよ、自分より強そうなやつが相手だったら逃げるし、勝てそうだったらやっつけちゃう!みたいな。弱肉強食の感情って本来人間は持ってるんだけど、日進月歩で進化する現代社会に、本能がついていけないんじゃないかと感じています。人間の体の仕組みははOS 1.0からほぼバージョンアップしてないのに、生活や環境がすごく変わることで、ギャップや不具合が起きていませんか?
降矢
まあ、そうですよね。社会が変わっちゃいましたからね。だからある意味、昔はスポーツで普通に戦えていたけども、あんまり今はね、表から戦っちゃいけないという。
林
ハハハ(笑)
降矢
スポーツをちゃんとやらないと、そこ(本能)がまあ、なんていうか、処理できないというかね。スポーツの意味って、またそこにも、現代ではさらにあるんだと思うんですよね。ルールの中で戦えるのがスポーツなので。
ーー(森野狐)戦わないといけないんですか?
降矢
いけなくはないんです。戦いたい人は、ということです。よく子どもの頃にちゃんとスポーツさせろっていうのは、そこでエネルギーを使わせるというか、出させるということですから。
セタ
スポーツを頑張っちゃう感じって、本能的に、ファイティング・スピリットみたいな感じですよね? 僕はそんなにスポーツする方じゃないけれど、それなりにファイティング・スピリットもあるだろうし、うまく処理できないとおかしなことになるんですか?
降矢
そういうタイプの人は、ということです。全員がそうじゃないんです。
セタ
え? 戦う本能がゼロの人もいるんですか?
降矢
ゼロってことはないんだけども、そんなに戦うことを必要としない人もいるわけです。これも、ちゃんと分かってないといけないんですよ。
セタ
みんなが同じ基準で生きていないよ、と。
降矢
そうですそうです。だから、いわゆる体育会系と文化系とかってあって、体育系の人たちはちゃんとスポーツをする場がないとうまく発達しないし、そうじゃない人は無理にスポースをさせるのではなくて、文化的な場をちゃんと味わう、そういうことです。
セタ
たとえば文化系の人でも「自分はあいつには負けたくない」ってプライドがあるじゃないですか? それはファイティング・スピリットとは違うんですか? このことでは私のが上だ、みたいなことっていろんな分野であるじゃないですか。
降矢
一部被ると思います。ただね、ちょっと微妙に違うのは、マウンティング的なところ、「上に立ちたい」というのと、「戦いたい」というのはちょっと違うんですよ。
セタ
違うんですか!
降矢
戦いたいのは純粋に戦いたいんですよ。
セタ
文字通り。
降矢
勝っても負けてもどっちでもいいわけじゃないけども、体を使いたい、っていうのはあるんですよ。
セタ
体と体をぶつけて何かを感じたい?
降矢
まぁ、そうですねぇ。でもその場にいて、スポーツの感動とかスリリングなところを自分は味わいたいっていう。
セタ
へえー。僕は自分がスポーツにはまらないから、分からないなあ。
降矢
そういう人もいる、ということです。
林
セタさん、本能っておっしゃったじゃない? 「本能で快」でいいいんだけど、おそらく人間社会を作るにあたって、ルールがないともめちゃうことがあります。だから約束ごとを作ったんだけど、それが行き過ぎちゃうと、ガチガチに縛っちゃうわけ。約束を作ったこと自体はいいことだけれど、セタさんと違って、僕らみたいな弱い人たちはボコボコにされちゃうからね(笑)ただ、あまりにもルールの縛りが強くなっちゃっうと、アロマセラピーでもよくあるんですが、「こんなに気持ちいいことを私がやっていいんだろうか…申し訳ない」って思う人がいるんですよ。
セタ ブレーキをかけちゃう?
林
そうそう、「快=悪」と結びつけちゃって。おそらく日本という特性もあると思うし、現代社会っていうのもあるかな、でも、それは大問題なんですよ。世の中や社会が「快=悪い」って、これは言い過ぎかもしれないけど脅してるでしょ。たとえば管理者側が抑えつけてきたり、自由度を奪ってきたりすることは、心の病の増加とかなり関係があるんじゃないかなと思ってますけどね。
ーー(森野狐)本能が分からない… 本能がわかんないです!
(一同)おお〜〜〜〜〜
セタ
ま、分かりづらいものですよね。
降矢
僕はときどき患者さんに、あなたの楽しみは何ですか?って聞くんですよ。そうすると、かなりの人が戸惑うんですねえ。
( 次の記事に続く )
心地いい
がわからない?
本質的な健康や癒しを追求する『WHOLLYマガジン』は、身体や運動のことも調査したい。ヨガについては前々から興味はあるが実は何も知らない未知の存在。そこで、代々木上原でヨガスタジオを運営されているYUKA SHINOHARAさんにお話を聞いてきました。YUKAさんは日本ではめずらしい
ヴィンヤサヨガを実践されているNY帰りのヨギです。
| 第2回 |
「心地いい」が
わからない?
降矢
多くの人は、本当に自分が、どれが心地良いかっていうのも分かんなくなってるとこあるんです。
セタ
あ!分かんなくなってるんですか。
降矢
意外に多いんですよ。
セタ
それは驚きです。
ーー(森野狐)なぜ快・不快がわからなくなるんですか?
降矢
現代の社会では、心地よいことだけ優先しては絶対生きていけないじゃないですか。心地よさを抑えてると、だんだん麻痺するんです。で、最終的に、自分が何が好きで心地よいかも、分かんなくなってくる、ということが、結構起こっているんですよね。
セタ
それ、分かる気がします。僕も、もっと自分が心地よい状態に対して積極的になっていいと思っていて、うまく自分を意識的に甘やかすべきと頭では分かっていても、一方で快適なことばかり求めちゃいけないと、ブレーキかけるんですよね。植物療法を勉強していると、結局体を直すのは自分の免疫力なんだけど、それをうまく働かせるトリガーになるのが薬だったり、ハーブじゃないかと思いますね。だから心の問題は、いわゆるメンタルの病気の話だけでなく、健康すべてに関わっているのかな、って。
降矢
とくに今の普通の東京や都会、まあ、日本の社会や会社では、なかなかこの「快」っていうの出せないというか、貫けないことが多いでしょうね。そのことを分かってどうするかを考えないと、後で思わぬことになりますので。
ーー(森野狐)あのー、快・不快は心もしくは感情が判別することなんですか?
降矢
いや体もありますけども、心ももちろん入ってきます。
ーー(森野狐)自分の居心地がいい状態が、快なんですか?
降矢
居心地と言ってもいいかもしれませんけどね。
セタ
(森野Dに)快が分からない、って前にも質問してたよね?
ーー(森野狐)快、わかんないです。自分がどういう時に心地いいのか、自分のストレスもわかんないです。
降矢
わかんないですか?
ーー(森野狐)ストレスがあるのかないのかもわかんなくて、そのストレスが溜まってバンと弾けた瞬間、もう誰も会いたくないみたいな…。ストレスがわからない自分って、不快に気がつかない状態なんでしょうか?
降矢
ある意味そうですかね。不快に気づかないのか、気づいてもそれに蓋をしてるのか、どっちもありますよね。
ーー(森野狐)それって私は、脳みその方を重点的に動かしているのか? 心と感情に蓋をしている状態なのか? どういう状態なんですか?
降矢
もし、快・不快を本当に分かりたかったら、頭では無理です。やっぱりハートとか、感情の方にちゃんとフォーカスしないとわからないと思いますね。
セタ
なんか僕、「本能」って結構好きなんですよ。自分も動物だって、感じることがあります。あの、「闘争」か「逃走」って、よく診療内科の話で出てくる…
林
ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)ね。
セタ
はい!それ! 降矢先生、説明してください。
降矢
闘う「闘争」か、逃げる「逃走」か。そうしないとストレスにやられちゃうっていうそういう場面の時の、交感神経が働く時の状態ですね。
セタ
なんか、自分が動物だったらですよ、自分より強そうなやつが相手だったら逃げるし、勝てそうだったらやっつけちゃう!みたいな。弱肉強食の感情って本来人間は持ってるんだけど、日進月歩で進化する現代社会に、本能がついていけないんじゃないかな。人間の体はOS1.0からほぼバージョンアップしてないのに、生活自体がすごく変わることで、ギャップや不具合が起きていませんか?
降矢
まあ、そうですよね。社会が変わっちゃいましたからね。だからある意味、昔はスポーツで普通に戦えていたけども、あんまり今はね、表から戦っちゃいけないという。
林
ハハハ(笑)
降矢
スポーツをちゃんとやらないと、そこ(本能)がまあ、なんていうか、処理できないというかね。スポーツの意味って、またそこにも、現代ではさらにあるんだと思うんですよね。ルールの中で戦えるのがスポーツなので。
「快」にブレーキをかけてしまう
現代の日本人
セタ
なんか僕、「本能」って結構好きなんですよ。自分も動物だって、感じることがあります。あの、「闘争」か「逃走」って、よく診療内科の話で出てくる…
林
ファイト・オア・フライト(Fight or Flight)ね。
セタ
はい!それです! 降矢先生、説明してください。
降矢
闘う「闘争」か、逃げる「逃走」か。そうしないとストレスにやられちゃうっていうそういう場面の時の、交感神経が働く時の状態ですね。
セタ
なんか、自分が動物だったらですよ、自分より強そうなやつが相手だったら逃げるし、勝てそうだったらやっつけちゃう!みたいな。弱肉強食の感情って本来人間は持ってるんだけど、日進月歩で進化する現代社会に、本能がついていけないんじゃないかと感じています。人間の体の仕組みははOS 1.0からほぼバージョンアップしてないのに、生活や環境がすごく変わることで、ギャップや不具合が起きていませんか?
降矢
まあ、そうですよね。社会が変わっちゃいましたからね。だからある意味、昔はスポーツで普通に戦えていたけども、あんまり今はね、表から戦っちゃいけないという。
林
ハハハ(笑)
降矢
スポーツをちゃんとやらないと、そこ(本能)がまあ、なんていうか、処理できないというかね。スポーツの意味って、またそこにも、現代ではさらにあるんだと思うんですよね。ルールの中で戦えるのがスポーツなので。
ーー(森野狐)戦わないといけないんですか?
降矢
いけなくはないんです。戦いたい人は、ということです。よく子どもの頃にちゃんとスポーツさせろっていうのは、そこでエネルギーを使わせるというか、出させるということですから。
セタ
スポーツを頑張っちゃう感じって、本能的に、ファイティング・スピリットみたいな感じですよね? 僕はそんなにスポーツする方じゃないけれど、それなりにファイティング・スピリットもあるだろうし、うまく処理できないとおかしなことになるんですか?
降矢
そういうタイプの人は、ということです。全員がそうじゃないんです。
セタ
え? 戦う本能がゼロの人もいるんですか?
降矢
ゼロってことはないんだけども、そんなに戦うことを必要としない人もいるわけです。これも、ちゃんと分かってないといけないんですよ。
セタ
みんなが同じ基準で生きていないよ、と。
降矢
そうですそうです。だから、いわゆる体育会系と文化系とかってあって、体育系の人たちはちゃんとスポーツをする場がないとうまく発達しないし、そうじゃない人は無理にスポースをさせるのではなくて、文化的な場をちゃんと味わう、そういうことです。
セタ
たとえば文化系の人でも「自分はあいつには負けたくない」ってプライドがあるじゃないですか? それはファイティング・スピリットとは違うんですか? このことでは私のが上だ、みたいなことっていろんな分野であるじゃないですか。
降矢
一部被ると思います。ただね、ちょっと微妙に違うのは、マウンティング的なところ、「上に立ちたい」というのと、「戦いたい」というのはちょっと違うんですよ。
セタ
違うんですか!
降矢
戦いたいのは純粋に戦いたいんですよ。
セタ
文字通り。
降矢
勝っても負けてもどっちでもいいわけじゃないけども、体を使いたい、っていうのはあるんですよ。
セタ
体と体をぶつけて何かを感じたい?
降矢
まぁ、そうですねぇ。でもその場にいて、スポーツの感動とかスリリングなところを自分は味わいたいっていう。
セタ
へえー。僕は自分がスポーツにはまらないから、分からないなあ。
降矢
そういう人もいる、ということです。
林
セタさん、本能っておっしゃったじゃない? 「本能で快」でいいいんだけど、おそらく人間社会を作るにあたって、ルールがないともめちゃうことがあります。だから約束ごとを作ったんだけど、それが行き過ぎちゃうと、ガチガチに縛っちゃうわけ。約束を作ったこと自体はいいことだけれど、セタさんと違って、僕らみたいな弱い人たちはボコボコにされちゃうからね(笑)ただ、あまりにもルールの縛りが強くなっちゃっうと、アロマセラピーでもよくあるんですが、「こんなに気持ちいいことを私がやっていいんだろうか…申し訳ない」って思う人がいるんですよ。
セタ ブレーキをかけちゃう?
林
そうそう、「快=悪」と結びつけちゃって。おそらく日本という特性もあると思うし、現代社会っていうのもあるかな、でも、それは大問題なんですよ。世の中や社会が「快=悪い」って、これは言い過ぎかもしれないけど脅してるでしょ。たとえば管理者側が抑えつけてきたり、自由度を奪ってきたりすることは、心の病の増加とかなり関係があるんじゃないかなと思ってますけどね。
ーー(森野狐)本能が分からない… 本能がわかんないです!
(一同)おお〜〜〜〜〜
セタ
ま、分かりづらいものですよね。
降矢
僕はときどき患者さんに、あなたの楽しみは何ですか?って聞くんですよ。そうすると、かなりの人が戸惑うんですねえ。
( 次の記事に続く )